2018.10.27 15:00『新陰流を修めた藤堂家臣 佐伯権之助惟定』『新陰流を修めた藤堂家臣 佐伯権之助惟定』 藤堂家臣の佐伯権之助家初代・惟定(これさだ)は、新陰流と縁があった様です。惟定は藤堂高虎に仕えて慶長の朝鮮役、大坂両陣に従い、その功により禄は四千五百石に上りましたが、若年の頃、新陰流 正統第二世となった柳生石舟斎の一番弟子といわれる大...
2018.10.27 15:00『新陰流第二世 柳生石舟斎の孫 柳生九左衛門宗次』『新陰流第二世 柳生石舟斎の孫 柳生九左衛門宗次』 新陰流第三世 柳生兵庫助(石舟斎の孫)は、尾張藩御附家老・成瀬隼人正の推挙を受けて尾張大納言 徳川義直の兵法師範として仕えました。 同じく成瀬隼人正の肝煎で藤堂藩に三百石で召し抱えられた石舟斎の孫がいます。 石舟斎の次女が嫁いだ...
2018.10.27 15:00『伊賀国出身の剣豪 荒木又右衛門』『伊賀国出身の剣豪 荒木又右衛門』伊賀服部郷 荒木村出身の荒木又右衛門は、幼少から中条流や神道流を学んで剣術の腕を磨き、後に柳生宗矩やあるいは柳生十兵衛の下で新陰流を学んだといわれています。郡山藩に取り立てられる前の空白7年間といわれる時期が新陰流修行の期間であったともいわれてい...
2018.10.27 15:00『武家名門の剣豪 戸波又兵衛親清』『武家名門の剣豪 戸波又兵衛親清』 藤堂高虎に仕えた武将で剣術の達人 戸波又兵衛親清は伊賀で新陰流兵法(戸波流)を教えていたことでも知られています。戸波又兵衛親清は柳生石舟斎の高弟で柳生家臣の村田与三左衛門の新陰流を学んだといわれ、大阪夏の陣「八尾の戦い」において二番槍の武功を挙...
2018.10.27 06:33『石舟斎も頭上がらぬ剣豪 松吟庵』柳生七郎左衛門重厳 (松吟庵)は、家厳の弟、宗厳(石舟斎)の叔父である。※松吟庵は石舟斎の弟などの説を見受けるが、天文三年 丹生神社奉納現存の大般涅槃経の奥書に「奉寄進本願 松吟庵長虞敬白」とある(重要文化財として正式に認められたものである)。天文三年は、石舟斎五歳、家厳三十五歳...