『柳生家随一の達人 元祖 津田武左衛門直勝』
『柳生家随一の達人 元祖 津田武左衛門直勝』
藤堂藩において有名な新陰流の達人の一人として津田武左衛門直勝がいます。柳生家出身で「小太刀の名手」といわれた初代武左衛門は新陰流兵法指南役として召し抱えられ500石の石高を誇りました。藤堂家や重臣をはじめ多くの藩士を指南して藤堂藩での新陰流の根幹となりました。父の柳生源太夫三秀は武勇と剣技に優れ柳生十兵衛との大きな関係性も確認されるほか、柳生家臣として重大な任務や使命をこなしました。祖父の柳生喜七郎も高い武芸の才があり、曽祖父は柳生石舟斎の弟と言われる松吟庵の家系である武左衛門は、藤堂藩津田道之助養子として津田姓となり同家は幕末まで代々新陰流兵法指南役として務めました。柳生家随一の達人と言われた武左衛門直勝といえど、将軍家をはじめとした徳川家の御流儀たる新陰流兵法の呼称を使うことは柳生家から強く禁止されていました。当初は流儀名を隠し「截組」と称していましたが武左衛門や第三代藩主 藤堂高久公、第四代藩主 藤堂高睦公の尽力で元禄16年頃に「新陰流兵法」の呼称を正式に使うに至りました。誉れ高い津田家の伝えた新陰流は「元祖武左衛門工夫ノ業」として初代武左衛門独自の「截組九本」や「小太刀三本」も伝承し剣技の研鑽に努めました。
津田武左衛門 ー Wikipedia
ja.Wikipedia.org
【出典・参考】
『伊賀市史』通史編 第二巻 第三巻
『名張市史』
『津藩分限役付帳』名張市所蔵
『御学館内絵図』伊賀市上野図書館蔵
『藤堂藩の新陰流兵法』村林正美
『荒木保明家譜』鳥取県立博物館蔵
『増補 藤堂高虎家臣辞典附分限帳』佐伯朗
『藤堂高虎と家臣逸集』佐伯朗
【協力・監修】
玄忠寺
荒木又右衛門記念館
伊賀市上野図書館
新陰流兵法 碧燕会
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